【書評】「安楽死を遂げた日本人」

本屋大賞、2019年ノンフィクション本大賞のノミネート作品が発表されました!発表は11月。どの作品が大賞に選ばれるのか注目ですね!この6作品について、当ブログでも随時紹介していきます。

 

安楽死を遂げた日本人

 

安楽死」に希望を見出すとき、私たちはその死に何を期待するのか。前作『安楽死を遂げるまで』に寄せられた意見から日本人にとっての安楽死と向き合うことを思い立った著者は、再びの取材に取り組む。

50歳という年齢で徐々に身体機能が衰退していく難病、多系統萎縮症に侵された女性と、末期癌を告知され、余命いくばくもないという男性。2人に共通するのは、「安楽死」を望んでいるということ。彼らと、彼らの周りの人々をへの取材を重ね、著者は「安楽死」という選択肢を日本が果たして受け止められるのかについて、考えを巡らせていく。

 

 

個人的おすすめポイント


 

1. 苦しみの日々と最高の死

この本で主に語られる、多系統萎縮症を患った女性、小島ミナさん。多系統萎縮症については、本書で以下のような説明があります。

小脳などの変性によって、まず歩行時にふらつきが生じたり、手足がこわばったりする。ほかにも様々な部位で身体機能に異変が訪れる。(中略)やがて四肢の自由は奪われ、寝たきり生活を強いられるようになり、人工呼吸器や胃瘻なども必要となってくる。

 発症してからの日々を、小島さんとふたりのお姉さんのお話、そして小島さんが自身のブログにあげた記事をもとに追っていきます。次第に自由の利かなくなる身体に鬱屈とし、いつしか死を求め始めた小島さんは、その心内に何を抱えていたのでしょうか。そして小島さんは、スイスの自殺幇助団体「ライフサークル」の存在を知り、自分の病と決別する希望を見出すのです。

 

2.「安楽死」=「楽な死」?

安楽死というと、言葉のまま「楽な死に方」と思われがちのようです。しかし、スイスの幇助団体では以下の点を問われます。

(1)耐え難い苦痛がある。

(2)回復の見込みがない。

(3)代替治療がない。

(4)本人の明確な意思がある。

 そして本書で紹介される小島さんや癌患者の男性が安楽死を求めるまでの過程を見るに、「辛い人生に区切りをつける」といった趣が強いように思われます。

一方で、日本ではマイナスのイメージが強いという「緩和ケア」の存在にもスポットが当たります。肉体的、精神的な苦痛を取り除きながら自然な死を待つという手段ですが、その実態がよく知られてはいないのも、苦いイメージの一因のようです。

安楽死にしても緩和ケアにしても、まずはその実態が正しく認知されることが不可欠です。

 

感想


 

「私が私であるうちに」と、小島さんは言われます。病の痛みは抱えたその人にしか分かるものではありません。同時に、患者を見守る周囲の人たちの苦しみも、その人それぞれにしか分からないだろうと思います。本人と家族と、両方が納得のいく死はなかなかに難しいものです。本書を読み、安楽死自死の線引きはそういうところになるのかなと私は思いました。

本書は前作の続き物ということもあったのか、著者がなぜ安楽死の取材を始めたかという点が曖昧だったように感じました。こちらと合わせて、前作にもぜひ目を通しておきたいところです。

 

 

前作


安楽死容認国とそうでない国、それぞれの国で死を遂げた人々の歩んだ人生とその死を追ったノンフィクション。何を思い、どんな葛藤を経て安楽死を決断するのか。なぜ安楽死
が求められるのか。著者が実際に目の当たりにする実態から、安楽死の是非が問われます。

 

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